池田文夫さん夫妻 ヨーロッパ旅行記
         ・・・2012年10月

ロンドンからローマへはユーロスター。
ホテルを朝7時前出発。朝食はまずいお菓子みたいなパンとジュースに水にヨーグルト(もう飽き飽き)。
厳しい出国チェックを受け、プラットホームへ。

ユーロスターに乗り込む
ユーロスター前部
何と18両編成。
座席は、片側2席で1列通路を挟んで4席。日本の特急列車のように狭かったが、乗り心地は新幹線より良い。

出国チェックがあるので車掌の検札がないのは当然だが、日本のように名物や酒類を積んでワゴン車を引いた売り子が来ない。ワインかビールでもと思っていたのに残念。

約2時間でパリ着。

パリ到着後、エスカルゴ料理の昼食。エスカルゴとペンネ、白身魚のホワイトソースがけ、パン。

エスカルゴは6個。とてもおいしかった。

水の注文があったが、高いため、みんな無料の水道水でよいということになった。
ヨーロッパは日本の軟水と違い硬水とか。成分に石灰が入っているとかで、腹くだしに注意とガイドさんは言っていたが、水道水で十分耐えられた。もちろん日本よりかなりまずい。

エッフェル塔の前で
その後、パリ市内観光。

ルーブル美術館はまるで人ごみ。35年前は名画を前にスケッチする画家の卵がいたが、そんなスペースはなし。美術館は新築改装されていたが、階段ばかり。足の弱い人や車いすで見学することなど無理。先進国の世界の美術館とあろうものが、バリアフリー面は零点。

35年前にも見たミロのビーナスモナリザをもう一度鑑賞。ジャンヌダルクの絵と思っていた、中央に赤い旗を持った女性の絵は「自由の女神」の空想の女性がモデルの絵とガイドさんから説明を受けた。

観光はバスを降りたのがエッフェル塔だけで写真を撮ってすぐにまた乗り込んだ。

凱旋門やフランス革命でギロチンに散ったマリーアントアネットゆかりのコンコルド広場などは車窓からだけの見物。

35年前は自由行動でエッフェル塔を近くから眺め、コンコルド広場ではクレープを食べ、シャンジェリゼではカフェテラスでカフェオーレを飲んで楽しんだのに今回は自由行動日がなくすべてパス。
有名なベルサイユ宮殿にもコースに含まれていなかった。
モナリザ

ミロのヴィーナス
ミロのヴィーナスのレプリカと
モナリザとうちの女房 3美人?
夕食はなんてことはないチキン料理。

だが本場の赤ワインを飲んだ。100リットル、1ユーロ(約100円)、約1ボトルの700リットルを日本でいう水差しみたいなもので持ってきてもらった。

10月中旬ということで多分新酒のヌーボーか?味はまあまあ。それにしても安い。水より安いと聞いていたが本当だった。


パリ2日目も7時出発でいつもの弁当の朝食。350キロ離れたノルマンディーにある。最近、カトリックの巡礼地として知られているモンサンミッセッル修道院へ。

片道350キロの旅(車で5時間以上)。長崎から広島、岡山ぐらいの距離か。

日本ではツアーバスの事故が相次ぎ、運転手の過重労働が問題になっているが、運転手2人態勢で安心。ガイドさんは長距離の運転時間は厳しく法律で決められていると説明していた。

修道院を、文献から引用すると、周囲約900mという小島の頂上に造られた修道院。言い伝えに寄れば709年に司教である、オヴェールの夢枕に大天使ミカエルが現れ、大天使を祀る聖堂の建設を命じたという。

島の頂上(トンブ山、標高約80m)に建てられたので、かなりの難工事になり、完成したのは16世紀頃と言われている。11〜12世紀にはロマネスク様式の僧院が出来上がり、13世紀にはゴシック様式の教会が造られた。途中の14世紀には英仏百年戦争の巻き添えを喰って、修道院の周囲には、城壁や物見の塔などが造られて要塞化。建築様式は長期間に渡った工事の為ロマネスク、ゴシック、ルネッサンスなどの様式が併存している。島へは干潮に干潟を通って行かなければならなく、満潮の時は潮の流れが速くて危険だった。

19世紀になってようやく防波堤が築かれ、1870年には島と陸を繋ぐ道路が出来上がり、ようやく安全に島へ渡れるように成った。しかしこの工事により砂が集まって来て、今では海水が無くなり干潟になってしまい、海の中に浮かぶ昔の姿が見られなくなった。城壁の入口に在る駐車場までの道が舗装され、車で行ける様になったのは最近の事。モン・サン・ミッシェル修道院とその湾が世界遺産に指定されたのは1979年だった。 
モンサンミッセッルのオムレツ

ガイドさんによると、神父、修道女は計7人がいるとか。しかしここも観光客がいっぱい。毎日のミサをどこで、いつするのだろうかと疑問に思った。

昼食はここの名物のオムレツ。シンプルで、卵の風味がよく、私たち夫婦には美味しかったが、食べ残す人も多かった。塩味が薄く、年配の人には醤油があれば、おいしく食べられたかも。それにハムステキーにパン。ハムステーキは私好みの味。
モンサンミッセッル修道院を背景に

パリ市内に戻ったのは夜の9時過ぎ。福島の原子力事故で省エネが徹底した日本と違い、夜の街はライトアップしたところが多い。
福島事故前のパチンコ屋のけばけばしいネオンはなかったが。

エッフェル塔のライトは見ごたえあり。写真に撮りたかったが、バスの中からは無理だった。

市内を走行中、搭乗員さんから「ここがダイアナ妃が死んだ事故現場です」と言う説明あり。なるほど、テレビで見たのと同じコンクリート柱があった。

夕食はビーフフルギニヨンとあったが、名ばかりの牛。固くてまずい。それにツアーで食べ飽きたペンネ付き。もちろん赤ワインをたしなんだのは当然の成り行き。

3都市の食事で感じたのはフランスパンはすごくおいしかったが、普通の丸いパンは甘くて空腹を満たすだけだった。それに食事にスープが出なかった。日本では味噌汁や、吸い物、洋食だったら、ポタージュかコンソメスープが出るが、出なかったのは安いツアーのためだったのか、それともスープは高級料理にしかでないのか?不思議だった。




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