森先生は2013年1月1日、お亡くなりになられました。






このレストランは
平日 11:00〜15:00
土日祝日 11:00〜15:00
17:00〜20:30
の営業です。
大人一人1,260円のバイキング で、数年前のオープン時も並ば ないと入れないくらい多かったの ですが、現在でも土・日はそんな 状態だそうです。
先生と食事した日は月曜日だっ たのですが、その日もほとんど の席が埋まっているほど盛況で した。
鈴田地区で採れた野菜をたっぷ り使ったバイキングです。




私が白いご飯を食べていたら
「ここはもっとおいしいものがある んです。」と言って先生自らお皿 についで持って来てくださったの が「鶏ピー飯」です。
鶏飯にピーナツが入っているん です。↓









森先生の4年前に取材させていた
だいたページはこちらです。
●森秀一先生は今年喜寿を迎えられました。
十九回生を3年の時に担当されたのは、5組。その5組のメンバーが「喜寿のお祝いをしたいの
で長崎に帰って来てください。」と、何度もお願いして今回の帰省となりました。

管理人も先生に会ってきました。

今回の喜寿のお祝い(10月23日j実施)に、5組で はなかった管理人も浜端さんよりお誘いを受けて おりましたが、あいにく私は当日ミュージカルを見 に福岡に行くことになっておりました。

それで、先生がまだしばらくは大村に滞在されて いると伺って、先生に会うために大村まで行って きました。

先生は現在千葉にお住まいですが、大村のご自 宅もまだそのままにしてあるそうです。
先生は10月20日に帰省されて、11月18日に千葉 にお帰りになるということです。

先生の大村のご自宅は、タクシーも嫌がるという道だと前から伺っておりましたので(タクシー運転 手になるための最終j実習コースだそうです。)、前回先生とお会いしたところと同じ、鈴田地区にあ る「野鳥の森レストラン」でお昼を食べることにしました。
ここは、先生の同級生が経営されているところだそうで、レストランの横に直売所もあって、野菜や 果物、魚、蒲鉾などが買えます。
私も約束の時間より早く着きましたので、直売所をうろうろして、漬物を少し買いました。

先生は体は元気そうなんですが、普段あまり歩かないそうで足腰が弱くなられています。この「野 鳥の森レストラン」までは通常タクシーでいらっしゃいます。

約束の11時半、私の車のそばに「ジムニー」が止まりました。助手席に座っているのがどうも森先 生のようです。私も車からおりたら、運転をしていた男性の方も降りてきました。
その方、先生の弟さんで、先生より歳が一回り下で横浜にお住まいなんだそうです。
たまたま数日前に大村に帰省されて、先生を送ってくださったそうです。弟さんは「又迎えに来ま す。」とおっしゃって自宅にお帰りになりました。

浜端さんより、アルバムを預かってきました。

長崎を出る時、浜端さんに先日 のクラス会のアルバムを預かっ て来ていました。
まず、それをお渡ししたら、ポケ ットから眼鏡を取り出して、ゆっく りご覧になりました。

←私からもちょっとだけお祝いの品を。
中身はもちろん「焼酎」です。
「今はあんまり飲めなくなってね。」と先 生。
「沢山はもうだめですよ。少しずつ召し 上がってください。」と私。
母親みたいなこと言ってしまいました。
大村に滞在の間、食べることはご自分 で作っているそうで、ご親戚や近所の 方が食べきれないほどの食材を持って きてくれるそうです。
スケジュールも結構詰まっていて、「私 が帰省していることが、なんでいろんな 人に伝わっているんでしょうね。いろん な人から誘いがあるんですよ。」とおっ しゃっていました。

森先生は作詞家デビューしてたんですって!

昭和61年、諫早市多良見町に「県立西陵高校」が新設されるこ とになりました。
初代校長に決まっていたのが、十九回生も社会を教えて頂いて いた「齊藤實」先生です。
高校開設の前年の10月、齊藤先生から森先生に、
「予算が足りないんです。森先生、西陵高校の校歌を作ってくだ さい!」
と依頼されました。先生は俳句はやっているけど、作詞なんかし たことがありません。何度も「それは出来ません。無理です。」と 必死になってお断りしました。しかし、その後、話し合いの機会 が持たれ、設立準備委員の方の熱い思いの説得にお応えする ことを決意されました。

作曲をお願いする方が、松岡貴史さんとおっしゃる方。
長崎県佐世保市出身の現代音楽作曲家。東京芸術 大学音楽学部卒業。同大学大学院音楽研究科作曲 専攻修士課程修了。DAAD給費留学生としてデュッセ ルドルフ音楽大学に留学

その方は当時ドイツにいらっしゃるので、やりとりを考えると、森 先生に与えられた時間は12月末まで。それからドイツの松岡さ んに作曲を依頼し、どうしても4月の開校の時に生徒に校歌を歌 わせたいということだったそうです。

作詞 森大鈴
作曲 松岡貴史
 
1 多良の山並み見晴るかす
  上野が丘陵の学舎に
  叡智の光究めむと
  凛々しき眉の若人は
  真理の道を歩むなり

2 琴湖の瑠璃を眼間に
  空路遙かに天馬翔く
  望み豊かに逞しく
  進取の意気の若人は
  理想の道を歩むなり

3 高き銀杏を仰ぎつつ
  友愛ここに育ちゆく
  世紀の鐘を打ち鳴らし
  いますこやかに若人は
  自律の道を歩むなり
しかし、作詞しようにも何も頭に歌詞が思い浮かばない。先生は機会を見つけては建築が進む場所 にも行ってみました。齋藤先生からの依頼で「校訓の3綱(自律・進取・友愛)3領(さとく・ゆたか に・すこやかに)の6つ言葉をその歌詞の中にちりばめて欲しい」と言われていました。それがまた 作業を難しくしました。

設立準備委員のおひとりから進捗状況について何度もお尋ねの電話があり、そのたびに恐縮しま した。
ついに新年を迎え、松の内の一日を選び、朝から部屋に籠って取材ノートを前に言葉選びを始めま した。やっと初案が出来たのは明け方近くだったそうです。

森大鈴とは俳句をやっている時の先生の雅号です。
でも、すばらしいと思いませんか?始めての作詞ですよ。ちゃんと後世に名前が残ったんですもの ね。

【後日談】予算が無いと言って依頼されたとはいえ、作詞料はいくらか振り込まれたそうです。ところ がそれを先生が知ったのは、奥さまが息子さんの学資のために使ってしまったあとだったそうです。
その後、先生には新設の小学校、中学校などから作詞の依頼がたくさんあったそうですが、すべて お断りになったそうです。
小椋佳みたいになられたかも知れないのに惜しい!

俳句生活は?

「今はあまり作句意欲がわきませんが、平戸と佐世保の俳句の会から送られてくる句の添削は続 けています。」
現在は、平戸「なんばん句会」が8名、佐世保「松の芽句会」が12名いて、メンバーが高齢なので、 どうしても年々人数が減っていくということです。

時間制限があったかどうか知りませんが・・・

先生とレストランに入ったのが11時半、席を立ったのは午後2時20分ぐらいでした。実に3時間近く お話を伺ったことになります。たくさんのお客さんもその頃には帰られて、もうまばらでした。
いろんな興味深いことを話して頂きましたよ。
やはり、先生の人脈は長崎にあって、こちらに帰ってこられた方が、人とのかかわりが断然多くなり ますよね。千葉にお帰りになったら、とにかく足腰を鍛え直して、毎年大村に帰るということを恒例行 事にしてほしいですね。
レストランをあとにする時、「これはおいしいと思いますよ。」とおっしゃってみかんをおみやげに買っ て頂きました。






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