≪幻想のマリア(浦上天主堂)≫
浦上天主堂は慶長の初め、豊後大友氏家臣の末裔菊地蒲三郎正重の居住地であった。
宣教師フレノ師設計、明治28年(1895)起工、信徒達は寄付金と労働奉仕に努めたが、明治新政府令による浦上キリシタン総流配後で生活の立て直しも容易で無く、完成まで30年の歳月を費やし、当時東洋一の大聖堂が大正14年(1925)完工したが昭和20年(1945)原子爆弾により壊滅した。
昭和55年(1980)ローマ法王ヨハネ・パウロU世来崎の折、改装され煉瓦造りとなった。爆風を受けた当時の鐘楼が下の川に現存し、原爆の驚異を現在に伝えている。
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