≪永井千本桜と共に(本原町)≫
06.3.29作画。
作画地の本原町は大正9年長崎市に編入。浦上川が北から南西へ流れ、北部に有る本原公園は地域の人々の憩いの場で有る。南北、東西に県営バス通りが走る。江戸期には「もとばる」と発音されていた。
作品上部の満開の桜は故永井隆博士の著者「亡びぬものを」「この子等を残して」などの印税でもって市内に寄贈された永井千本桜の一部であります。
博士は文筆活動で病床にありながら数々の名著をあらわし焦土の中での自失の人々に、生きる希望を与えました。又、博士の句"新しき 朝の光さしそむる 荒野に響け 長崎の鐘"に詠まれている、浦上天主堂の鐘の音が、朝なタなに響き渡る地でもあります。
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