お伺いする前先生が「古い田舎
のうちですが・・・」とおっしゃいま
したが、庭もきれいに手入れされ
ていますし、インテリアも和風で
趣味のいいしつらえでした。
これは先生の奥さまのセンスか
なと思いました。
(管理人)
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もうすぐ77歳になられるというの
に、まだ眼鏡は必要ないそうで
す。顔色もとてもよかったです。
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●東彼杵郡、川棚町に坂口昭美先生を訪ねました。
<最初はおまわりさんでした。>
父親が警察官でした。兄も警察官になるべく父親と同じ中央大学の法学部に入学。次男の私も兄
と同じ大学に入り、同じ部屋で過ごしていました。この生活がいやでいやで、1カ月で退学して帰っ
てきました。
ぶらぶら遊んでいてもよくないということで、父親に警察官の試験を受けさせられました。
その時の面接官によると、警察官になりたくない態度が見え見えだったそうです。
しかし、(運悪く?)採用されてしまいました。それで警察官を3年ほどやりました。
それでもこの仕事は自分に合わないと思い、高校の時の担任の先生に相談に行きました。
その先生が美術の教師だったんです。
恩師の勧めもあって、長崎大学の教育学部を受験し直し、美術教師への道を歩き始めました。
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松浦高校(S.38〜1年間)→長崎西高・長崎工業高校(S.39〜3年間)→長崎県立ろう学校→大村
高校→久原養護学校→大村園芸高校(退職)
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失礼も顧みず、質問させていただきました!
「どうして自習の時間が多かったのですか?」
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美術をとった同級生の話を聞くと、先生はあまり授業に出ら
れず、ほとんど自習だったという話が多かったので。
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「厳しい質問だね。」 (質問する私もドキドキでした。)
「松浦高校は新設の高校で1年生しかいなかったので、自分の時間がたくさんあって、いくらでも絵
が描けました。
ところが西高に勤務していたころは、同時に長崎工業でも教えていて、それぞれの学校を3日ずつ
受け持っていました。とても忙しくて絵を描く時間を十分に取れませんでした。
その頃、一緒に美術教師になった仲間が、教師を辞めて絵を描くために、東京や外国に飛び出し
て行っていました。私も彼らに負けたくないと思い、生徒に教えるより、自分の絵を描くことに一生
懸命になってたんです。」
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■県展の審査実行委員
■県委嘱作家展 運営委員
■県美術協会県北支部副支部長
ほかにもたくさんの役職があって、自宅から高速を使っても1時間ほどかかる県美術館には年間50
〜60回ほど出かけています。
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先生のアトリエは自宅の1階、坪庭に面した8帖ほどの部屋で、ロフトもあって、ロフトにはこれまで
の作品や道具等が置かれていました。
アトリエには畳半分ほどの大きな作品がたくさん置かれていて、これはすべて抽象画でした。
しかし、そのそばに部屋に飾ってちょうどいいくらいの風景画が何点か置かれていました。
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先生は現在77歳です。(正確には6月15日に77歳を迎えるそうです。)
先生の教え子がこれまでに28名、美術教師になっているそうです。
その教え子が還暦の時も、先生の個展を開いてくれて、会場も教え子たちが手配し、トラックで作
品を自宅まで運びに来てくれるそうです。
そして今年、喜寿のお祝いの個展も計画されているとのこと。教え子たちがいつ作品を取りに来る
かわからないので、今一生懸命準備しているとのことです。
そのうちの一人が、現在西高の美術の先生をされているそうです。
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