●佐野憲嗣先生の経歴
大崎高校(昭和32年から3年間)→長崎西高(昭和35年から7年間)→
国立佐世保工業高等専門学校(昭和42年から27年間)→59歳で母親を介護するために退職

●西高での思い出
文化祭の演劇では義経役をやりました。西高のすぐ近くに自宅のあった菅沼先生宅に集まって練 習したことを覚えています。
(出し物は「勧進帳」で弁慶役を菅沼先生、富樫役を齋藤先生、関守の侍役を米谷先生がなさった そうです。演劇は好評で生徒を含む観客の方々に喜んでいただき、中には涙を流している人もいた とのことでした!)

現在石川島播磨重工の社長になっている釜和明君と、この前亡くなられた篠田由美子さん(旧姓: 吉永)の東大受験には私がついていきました。

●もしも教師になっていなかったら
ジャーナリストを希望していましたが、私自身が体が弱かった ことと、その当時就職難で、両親が(父は私が3歳の時に亡く なりましたが)小学校の教師だったので、私もその道に進み ました。

右の絵はその父が絵を書くことが好きで書いたものです。
いろんな方にあげたので今ではこの1枚しか残っていません。

●母親の介護のために退職
島原に母がひとりで住んでいましたが、あるとき家の中でけがをして、その時もう高齢でしたので、 私が退職して(59歳の時)母の介護をすることにしました。(その少し前、妻も病気で亡くしましたの で。)
母の介護は自宅で約5年、病院や施設で5年、合計10年ほど続きました。
その母は3年前98歳で亡くなりました。

●現在の生活は
ひとり暮らしを気ままにやっています。
家の中で倒れて、だれも気がつかないようなことになったらいけないと思いますので、最近は今後 のことを考えるようになりました。

(管理人の感想:先生のお宅に伺ってびっくりしました。広いお宅ですが、男の一人暮らしとは思え ません。とにかくきれいに片付き、掃除も行き届いていました。)

●趣味とは言えないけれども時々作る俳句です。
とーく会の同窓会に出席いただいた時に詠んでいただいたお祝いの句

    ちこく坂 越へて四十歳(よそとせ) 秋桜

下はご自分の事を詠んだ句だそうです。「枯尾花」とはとんでもないです。

    ちこく坂 越へて四十歳(よそとせ) 枯尾花

●たまにはつりにも行きます
「まごち」という魚
大きい方は50センチはありますね。
上から「チヌ」「真鯛」「かわはぎ」
これも結構大物!!

船の免許も取りましたが、船外機を取り付けるのが面倒なので、手漕ぎボートで時々近くの海に行 きます。
ひとり暮らしなので、この前は釣った魚を食べ終わるのに6日間もかかりました。

●北海道までマイカーで
襟裳岬灯台
宗谷岬

娘が北海道の北の方に住んでいますので、時々マイカーで北海道をドライブします。
舞鶴からフェリーに乗って北海道までは二日間かかります。
今年の夏は、12泊13日の旅をしてきました。

●島原名物、「具雑煮」を食しました!
今回は3年の時、先生の担任であった宮本貞博さん、はるみさん(2組)ご夫妻と恩師宅を訪ね ました。ちょうどお昼になりましたので、先生といっしょに「具雑煮」を食べに行きました。

島原城のお濠の傍で






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