踏絵が丘(浦上司教座聖堂) 

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踏絵が丘(浦上司教座聖堂)

踏絵は長崎港草によると長崎奉行水野河内守が寛永5年始めたといわれています。

長崎丸山町の踏み絵は1月8日に行われ、化粧し着飾った遊女達は各々の店で役人が遊女の源氏名を読み上げる内に右足で踏み絵を行ったと言われています。